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東風平朝衛

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東風平 朝衛(こちんだ ちょうえい、1701年 - 1765年)は、琉球王国政治家歌人沖縄三十六歌仙の一人。正式には東風平親方朝衛と称する。唐名は向傑(しょうけつ)。称号は親方豊見城御殿門中である向氏当銘殿内(系祖・久志按司朝右)二代目(豊見城御殿門中としては三世)。父・久志按司朝右、母・毛氏真牛の長男として生まれる。組踊『万歳敵討』などの作者で知られる田里親雲上朝直は朝衛の弟である。

君主尚穆王
前任者蔡温
後任者湧川朝喬
生誕1701年????
康熙40年)
概要 東風平 朝衛, 三司官 ...
東風平 朝衛
三司官
任期
1752年  1765年
君主尚穆王
前任者蔡温
後任者湧川朝喬
個人情報
生誕1701年????
康熙40年)
死没1765年2月20日(1765-02-20)
乾隆30年2月1日
唐名向傑
称号親方
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詳しい経歴は不明であるが、蔡温のあと、1752年三司官に就任、1765年までの14年間その任にあった。歌人としても著名で、真境名安興の『沖縄一千年史』に古より有名な琉歌の名人6人のうちの1人に挙げられている[1]宜湾朝保『沖縄集』に、

名にききし しのぶ高雄の もみぢ葉を いま手にとりて 君ぞ見せたる

和歌が収録されている。

脚注

参考文献

関連項目

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