松井秀治 From Wikipedia, the free encyclopedia 生誕 1893年2月4日 日本 福岡県死没 (1966-10-09) 1966年10月9日(73歳没)所属組織 大日本帝国陸軍軍歴 1914年 - 1945年松井 秀治生誕 1893年2月4日 日本 福岡県死没 (1966-10-09) 1966年10月9日(73歳没)所属組織 大日本帝国陸軍軍歴 1914年 - 1945年最終階級 陸軍少将テンプレートを表示 松井 秀治(まつい ひでじ、1893年(明治26年)2月4日[1] - 1966年(昭和41年)10月9日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。 1893年(明治26年)に福岡県で生まれた[1]。陸軍士官学校第26期卒業[1]。1939年(昭和14年)3月9日に独立守備歩兵第10大隊長に就任し[2]、8月1日に陸軍歩兵大佐に進級した[2]。1940年(昭和15年)3月9日に歩兵第24連隊留守隊長に転じ[2]、8月1日に歩兵第113連隊長(西部軍・第56師団・第56歩兵団)に就任し[2]、太平洋戦争に出征[1]。 1944年(昭和19年)8月1日に陸軍少将に進級し[2]、12月26日に緬甸方面軍司令部附となりビルマ方面に出征[1]。1945年(昭和20年)3月16日に独立混成第105旅団長(緬甸方面軍)に就任し[1]、英軍に占領されたラングーンへの妨害に任じた[3]。6月には第28軍の指揮下に入り[3][4]、7月19日よりシッタン作戦に参加[5]。英軍が確保しているマンダレー街道を突破し[5]、反乱を起こしたビルマ国民軍からの攻撃を受けつつ[5]、シッタン川を渡河するという困難な作戦であったが[5]、7月30日までに渡河を敢行[5]。犠牲を多く出したが約2200人が渡河に成功するなど敢闘した[5]。 1948年(昭和23年)1月31日、公職追放仮指定を受けた[6]。 脚注 [脚注の使い方] 1 2 3 4 5 6 7 福川 2001, 672頁. 1 2 3 4 5 外山 1981, 362頁. 1 2 藤井 2020, 306頁. ↑ 藤井 2020, 307頁. 1 2 3 4 5 6 藤井 2020, 308頁. ↑ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十三年一月三十一日 仮指定者」211頁。 参考文献 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。 藤井非三四 著『知られざる兵団 帝国陸軍独立混成旅団史』国書刊行会、2020年。ISBN 4336065977。 Related Articles