松室重剛 From Wikipedia, the free encyclopedia 松室 重剛(まつむろ しげただ、1851年 - 1929年〈昭和4年〉)は明治から大正期にかけて活動していた洋画家であり教育者。学習院中等科で西洋画の指導を行っていた。 明治3年に宮内省権内舎人に任じられ、明治6年に慶應義塾に入社し英語と数学を学ぶ。次いで工部美術学校で大鳥圭介に学び、イタリア人のお雇い外国人に学ぶ。学習院中等科でも石膏像を用いた図画教育を取り入れた。 二女の田鶴は八高教授・若杉三郎(能勢克男の叔父)の妻[1]、四女の美佐尾は、徳富蘇峰の長男・太多雄の妻となった[2]。 明治の視覚革命!─工部美術学校と学習院 artscapeレビュー (2011年05月01日号) 出典 ↑ 若杉三郎人事興信録 9版(昭和6年) ↑ 徳富猪一郎『人事興信録』第8版、昭和3(1928)年 この項目は、美術・芸術に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。表示編集 典拠管理データベース 全般VIAF国立図書館日本 Related Articles