加賀国出身。金沢藩士、戸水信義の二男として生まれ、1886年(明治19年)、松寺敦行の養子となり、1891年(明治24年)に家督相続。 1893年(明治26年)、東京帝国大学法科大学英法科を卒業した。司法官となり、京城地方法院検事正、平壌覆審法院検事長、大邱覆審法院検事長、朝鮮総督府法務局長を歴任し、1929年(昭和4年)から朝鮮総督府高等法院検事長を務めた。1932年(昭和7年)12月、退官。
1935年(昭和10年)2月5日、病気療養中に東京府東京市豊島区池袋の自宅で死去、64歳[4][5]。死没日をもって勲二等旭日重光章追贈[3]。