松尾輝義
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長崎商業高校ではエース、四番打者として活躍。1968年秋季九州大会に進み、1回戦で宮崎商の西井哲夫と投げ合うが惜敗、春の選抜出場を逸する。1969年夏の甲子園に出場。2回戦(初戦)で若狭高に惜敗[1]。同年の長崎創造国体にも出場。準々決勝(初戦)で取手一高に敗退。
1969年ドラフト会議で読売ジャイアンツから10位指名を受け入団。1973年に一軍に上がり、8月8日には大洋を相手に初先発を果たすが、3回3失点で関本四十四にリリーフを仰ぐ。8月17日には同じ大洋との対戦で2回目の先発、味方が先取点を奪うが、2回に同点とされ早々に降板した。その後は登板機会に恵まれず、1979年限りで引退。
威力のある速球とカーブを武器にしたが、制球力に課題があった。