松山市立道後中学校

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国公私立の別 公立学校
設置者 松山市
校訓 「英知」「向上」
設立年月日 1957年
松山市立道後中学校
北緯33度50分45秒 東経132度47分22秒 / 北緯33.84572度 東経132.78939度 / 33.84572; 132.78939座標: 北緯33度50分45秒 東経132度47分22秒 / 北緯33.84572度 東経132.78939度 / 33.84572; 132.78939
国公私立の別 公立学校
設置者 松山市
校訓 「英知」「向上」
設立年月日 1957年
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
学校コード C138220100057 ウィキデータを編集
所在地 790-0853
松山市上市一丁目3番57号
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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松山市立道後中学校(まつやましりつどうごちゅうがっこう)は、愛媛県松山市にある公立中学校

松山市中心部の東側に位置する。校区内は道後温泉道後商店街湯築城跡などがある観光地で、伊予鉄道城南線の起点である道後温泉駅がある。

近年の全校生徒数は約500名前後であるが、1961年度から1965年度および1972年度から1992年度の間は1,000名を超え、特に1980年代は1学年10クラス以上あるマンモス校であった。また、校区内には大手企業や銀行等の社宅官舎、医師の家が多くあり、その当時は公立学校でありながら、松山市内の中でもトップの進学校であり、愛光学園愛媛県立松山東高等学校に進学する生徒の数は、愛媛大学教育学部附属中学校よりも多かった[1]

中には道後中学に入学するために戸籍を移す(アパートなどを借りて)という者もいた。

しかし現在[いつ?]は学年で30名程度となっている。(学生数も減少)。また、不登校の数も上昇傾向にあるものの新民主対応と別室登校など様々な処置がされている。

生徒数が多かったことや、体育館校舎の改築工事などが1980年前後から続いていたこと等から運動場が非常に手狭な状態で、さらにテニスコート(クレー)に至っては道路を渡った所にあるなど不便な状況が長年に渡り続いていた。その一方で、学校の敷地の西隣は松山市が所有する水源地(道後温泉の泉源)で、広い草むらの中に小さな揚水ポンプ小屋がいくつか建っているだけであった。この水源地の土地について、1995年3月にようやく運動場拡張のための転用が決まり、その2年後に運動場の西側への拡張工事が完成した。

現在は老朽化に伴う改修工事を行っております。完成は10月31日のハロウィーンのようだ。

1982年8月には松山市で開催された全国中学校総体において、サッカー部がベスト8となっている[1]

通学カバンは長らくたすき型にかける学校指定の白い帆布製(表のカバーのみビニール製)の肩掛けカバンであった。しかし、夏休みにヨーロッパに研修出張に行った生徒指導の教諭ら1-2名が中心となって、1984年4月の入学生から、リュックサックランドセルの中間のような形の背負う通学カバンが松山市の中学校では初めて導入された[1]。これは、「肩掛けカバンでは教科書やノートなどを詰めると片方の肩にのみ荷重がかかるため重さを強く感じる」、「ななめにかけるので姿勢が悪くなりそう」、「ヨーロッパではランドセル型のカバンを使っていた」、さらには、これが最も重要な目的であるが、「ファッションとしてぺっちゃんこにした状態のカバンを体の前になるよう掛ける(正式なかけ方はカバン本体を腰のやや下から臀部の位置にする、通称「後ろカバン」)と品格が損なわれる」等の意見によるものであった。ランドセル型のカバンは両肩で背負うので、カバン本体を前にする「通称、前カバン」を阻止するためには極めて有効で、それまでの生徒指導時には、前カバン(指導は長時間の正座などの強制)、横カバン(厳重注意や軽い体罰程度まで)といったカバンの位置の明確な区切りをできずにあった状況に終止符を打つものと期待された導入であった。

2023年度より黒色のリュックサック型が導入された。(選択自由?)

沿革

脚注

関連項目

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