松岡方祗
From Wikipedia, the free encyclopedia
周防国吉敷郡、のちの山口県吉敷郡大道村(現防府市)の出身で、元長州藩士。明治5年には成松明賢とともに少佐に任じられ正七位に叙された[1]。翌6年には万年千秋らとともに従六位に叙し、肇敏員外乗組などの任にあたった。
明治17年5月8日、練習艦龍驤副長に補され、同年9月4日には第二丁卯艦長へ転じた[1]。 明治18年4月3日、三重県志摩国安乗崎灯台内湾で暗礁に乗り上げ第二丁卯は破損沈没したが、松岡ら八十余名は全員救助された[2]。
その後、同年12月25日に東艦副長となり、のち磐城艦長に転じた[1]。 明治19年12月28日には葛城艦長心得となり[1]、翌20年12月16日には従五位に昇叙された[1]。
明治22年4月には、佐世保鎮守府に新設された海兵団の 初代団長 に任命された[3]。
明治26年に予備役、31年に後備役となり、明治36年12月に退役した。明治42年11月8日死去[1]。