松島局
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幼少時に中御門天皇女御・近衛尚子に仕えた。享保10年(1725年)、将軍世子徳川家重の婚約者となった増子女王に仕え、享保16年(1731年)江戸城へ下った。元文2年(1737年)、家重の嫡男・家治(幼名・竹千代)の養育係(乳母)として西の丸御殿へ入った。延享2年(1745年)家重の将軍就任に伴い将軍付き上臈御年寄として本丸御殿へ移っている。宝暦10年(1760年)に家治が10代将軍に就任してからも引き続き将軍付き上臈御年寄として大奥を取り仕切った。
家治の将軍就任同年から明和9年(1772年)まで長らく筆頭老女の地位に君臨し[2]、絶大な権力を振るっていたが、安永3年(1774年)からは同じく将軍付き上臈御年寄であった高岳が筆頭となっており、松島局は忽然と表舞台から姿を消した。生没年、墓碑なども明らかとなっていない[3]。