松平勝道
江戸時代後期の大名。伊予今治藩9代藩主。定房系久松松平家9代。従五位下・若狭守、駿河守。池田政行の次男
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生涯
文化10年(1813年)1月13日、池田政行(第6代藩主・松平定休の6男)の次男として誕生。天保5年(1834年)3月26日に従兄で8代藩主・松平定芝の婿養子となり、同年12月22日に従五位下・若狭守に叙任する。天保8年(1837年)9月12日、定芝の死去により家督を相続した。
天保14年(1843年)10月1日から文久2年(1862年)閏8月23日まで奏者番を務めた。この間、弘化3年(1846年)12月には駿河守に転任、嘉永6年(1853年)、将軍が交代して徳川家定が就任すると、その偏諱(「定」の字)を避ける形で初名の定保(さだやす)から勝道に改名した[1]。藩政においては文治政策に尽力し、種痘を実施し、万延元年(1860年)には古江浜塩田を完成させるなどした。文久2年(1862年)11月21日、自身の養子となっていた定芝の三男・定法に家督を譲って隠居し、慶応2年(1866年)8月6日に死去した。享年54。