松平憲良
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生涯
元和6年(1620年)、美濃大垣藩の初代藩主・松平忠良の次男(嫡男)として大垣で誕生[2]。母は酒井家次の娘[2]。
寛永元年(1624年)6月、父の死去により5歳で家督を相続し、遺領を継ぐ[3][2]。しかし幼少のため、同年9月、信濃国小諸に移封された[3][2]。所領は、佐久郡の北半分、小県郡内23か村、および北沢村内で1万石(現・佐久市)、計5万石だった[1]。このうち、庶兄・忠利に、小県郡3000石、佐久郡2000石、計5000石を分知した(祢津知行所)[4][3][2]。
寛永11年(1634年)12月、従五位下・因幡守に叙位・任官する[2]。寛永18年(1641年)、はじめて小諸城に入った(それまで生活の中心は江戸にあった)[1][2]。藩政では、荒れ地の再開発や新田開発に特に力を入れた[5]。また、寛永年間に検地を行ない、5カ所の寺を開基するなどして治世の安定に努めた[4]。
正保4年(1647年)8月13日、死去した[3][2]。享年28[6][2]。法名は月山宗江高樹院[2]。総泉寺に葬られた[2]。
嗣子がなかったため改易となった[6][3]。慶安元年(1648年)閏1月20日、弟・康尚が憲良の名跡を継ぎ、下野国那須郡内に1万石を与えられた[5][2]。