福井県足羽郡酒生村に生まれた。旧福井藩士であった。松成堂と号す。1873年(明治6年)に東京へ出て、翌1874年(明治7年)に日本橋区横山町の辻岡文助に雇われた。1884年(明治17年)に独立、8月3日に東京府京橋区南伝馬町3丁目において地本問屋兼書籍業を営業、小林幾英の錦絵を出版している。また『滑稽笑談清仏船栗毛』など数版を出版、『パーレー氏万国史』(明治20年)や『スイントン万国史』などを翻刻している。1887年(明治20年)に須原屋北沢伊八の跡となる浅草区茅町2丁目5番地に移転した。その後、『皇位継承篇』、『纂輯御系図』などを出版、小売業を兼営して今日に及ぶ[1]。