姫路小学校から広島鉄道局を経て、1937年にイーグルスへ入団。この年の春・秋は投手として18試合に登板した(通算1勝8敗)。翌1938年には春・秋とも一塁手・外野手・代打として出場し、投手としては1試合も登板していない。
戦争による応召により、3年間のブランクから1942年に大和軍に改称していた古巣に復帰。113回1/3投げながら7奪三振という技巧派のピッチングを見せたが四球も多く、1勝(10敗)しか出来ずこの年限りで引退した。
ただし、代打でもしばしば登場し63打数という少ない打数ながら.254という当時としては高い打率を記録している。