詳細な経歴は不明。1879年(明治12年)頃、本多錦吉郎が主催する洋画塾・彰技堂に入門して学ぶ。1884年(明治17年)永井建子に絵を教えたようだ[1]。翌年11月、『新編普通画学本. 巻之4 鳥類之部』を編集している[2]。1887年(明治20年)頃三田に住み、画塾を開いていたようだ[3]。
確認されている作品は少ない。風景画は、同時代の光線画のような夜景をてらす光が印象的である。また、「観音図」では絹地に油彩で写実的に日本的なモチーフを描いており、こうした作風は明治初期の洋画家にしばしば見られる。