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松本真平

日本の実業家、政治家 (1878-1971) From Wikipedia, the free encyclopedia

松本 真平(眞平、まつもと しんぺい、1878年〈明治11年〉5月12日[1] - 1971年〈昭和46年〉5月29日[1][2])は埼玉県出身の実業家であり、日東製粉の第二代社長。衆議院議員と貴族院多額納税者議員も務め、熊谷市名誉市民。

松本真平

経歴

埼玉県大里郡熊谷町本町(後の熊谷市)で、米穀商・4代目松本平蔵の長男として生まれる[1]。高等小学校卒業後、1891年に開京英語学校に入学したが病のため帰郷。埼玉英和学校(後の埼玉県立不動岡高等学校)で学び、1900年3月に東京高等商業学校を卒業する[1][2][3]。

大倉商業学校教諭を経て[1][2][3]、1901年12月に尾張屋銀行に入行し、明治義会中学校の英語教師を兼務[1]。また志願兵として一年間帝国陸軍に入営、三等主計として任を果たした[4]。1903年、実業界に進むことを決意して帰郷[1]。1905年、秩父鉄道取締役に就任する[5]。1906年には経営難となっていた熊谷製粉を引き受けるよう父に請願[6]、松本米穀店製粉部とした。

1914年に松本米穀店を法人化。松本米穀製粉株式会社(後の日東製粉)として、父が社長に真平が専務に就任。以後真平は、松本米穀精麦社長、武蔵精米精麦社長[注釈 1]、日満製粉社長、台湾興業社長、埼玉県商工連合会長、東京商工会議所議員、熊谷銀行頭取、武州銀行(後の埼玉銀行)取締役[4]、全日本肥料商団体連合会長、帝国車輌工業取締役などを歴任した[1][2]。

1924年5月、第15回衆議院議員総選挙で埼玉県第三区から立憲政友会所属で出馬して当選し、衆議院議員を一期務めた[2]。1932年9月29日、貴族院多額納税者議員に任じられ[8]、研究会に所属して活動し[9]、二期目の在任中、1940年10月1日に議員を辞職[9][10]。1971年5月に満93歳で死去すると市葬とされ、従四位を追贈される。二男の正己が松本米穀精麦を継いだが1976年5月に没し、その長男・光弘が取締役社長に就いた[5]。

真平は熊谷図書館の建設に際し一万円の寄付[5]をするなど、市に対して文化等多くの分野で財的な支援を行い、1951年に熊谷市文化功労者、1961年には熊谷市名誉市民に推されている[1]。

伝記

  • 桜沢千蔵編『松本真平譜記』松本真平君譜記刊行所、1940年。

脚注

参考文献

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