松殿兼嗣
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宝治元年(1247年)兼嗣が9歳の時に父の忠房は出家していた。
後嵯峨院政期前期の建長4年(1252年)従五位下・侍従に叙任。翌建長5年に(1253年)正五位下・左近衛少将に叙任されると、建長6年(1254年)従四位下、建長7年(1255年)左近衛中将、建長8年(1256年)従四位上、正嘉2年(1258年)正四位下と近衛次将を務めながら昇進を重ねた。
弘長元年(1261年)従三位に叙せられ公卿に列すが、引き続き近衛中将を帯びている。弘長3年(1263年)正月に兼嗣は正三位に昇叙されるが、同年10月に兄の良嗣が参議任官を果たせないまま出家した。文永6年(1269年)3月に兼嗣は兄が叶わなかった参議任官を果たすも、早くも同年12月に参議を辞任している。
亀山院政期では前参議の立場にありながら、弘安6年(1283年)従二位、弘安9年(1286年)正二位と昇進する。弘安10年(1287年)伏見天皇の即位により皇統が大覚寺統から持明院統に移ったのち、正応3年(1290年)正月に出家した。文保元年(1317年)3月3日薨去。享年77。