松殿忠顕

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生誕 康正3年(1457年[1]
官位 正三位参議
 
松殿 忠顕
時代 室町時代
生誕 康正3年(1457年[1]
死没 永正16年6月3日1519年6月29日
官位 正三位参議
主君 後花園天皇後土御門天皇後柏原天皇
氏族 松殿家
父母 父:松殿基高
母:不詳
兄弟 忠顕、顕秀
不詳
家豊
特記
事項
男系では松殿基房の血筋を引く松殿家最後の公卿である。
花押 松殿忠顕の花押
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松殿 忠顕(まつどの ただあき)は、室町時代公家従三位松殿冬輔の玄孫、松殿基高の長男。官位正三位参議

後花園朝康正3年(1457年叙爵文明12年(1480年従四位下、文明13年(1481年左近衛中将長享2年(1488年)従四位上、延徳4年(1492年正四位下と近衛次将を務めながら昇進を重ねる。

永正5年(1508年従三位に叙せられ、松殿家の人物としては高祖父の冬輔以来約130年ぶりに公卿に列した。三位に昇進後中将を帯びていたか明らかでないが、永正7年(1510年右衛門督に任官し、永正8年(1511年参議に任ぜられ、松殿忠嗣以来約150年ぶりに議政官となった。永正10年(1513年正三位に至る。

永正15年(1518年)秋ごろより地方にに下っており、同年12月に辞官した。翌永正16年(1519年出家し、6月3日に越前国で薨去。享年63。

なお、子息の家豊は忠顕が辞官した永正15年(1518年)に従五位上に叙せられ、永正18年(1521年)左近衛少将に任ぜられているが早世し、松殿家は断絶している。

官歴

歴名土代』『公卿補任』による。

系譜

脚注

参考文献

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