松殿忠顕
From Wikipedia, the free encyclopedia
後花園朝の康正3年(1457年)叙爵。文明12年(1480年)従四位下、文明13年(1481年)左近衛中将、長享2年(1488年)従四位上、延徳4年(1492年)正四位下と近衛次将を務めながら昇進を重ねる。
永正5年(1508年)従三位に叙せられ、松殿家の人物としては高祖父の冬輔以来約130年ぶりに公卿に列した。三位に昇進後中将を帯びていたか明らかでないが、永正7年(1510年)右衛門督に任官し、永正8年(1511年)参議に任ぜられ、松殿忠嗣以来約150年ぶりに議政官となった。永正10年(1513年)正三位に至る。
永正15年(1518年)秋ごろより地方にに下っており、同年12月に辞官した。翌永正16年(1519年)出家し、6月3日に越前国で薨去。享年63。
なお、子息の家豊は忠顕が辞官した永正15年(1518年)に従五位上に叙せられ、永正18年(1521年)左近衛少将に任ぜられているが早世し、松殿家は断絶している。
官歴
- 康正3年(1457年) 正月5日:従五位下
- 文明3年(1471年) 2月6日:従五位上
- 文明8年(1476年) 正月6日:正五位下
- 文明12年(1480年) 3月13日:従四位下
- 文明13年(1481年) 正月8日:左近衛中将
- 長享2年(1488年) 日付不詳:従四位上
- 延徳4年(1492年) 正月6日:正四位下
- 永正5年(1508年) 6月6日:従三位
- 永正7年(1510年) 2月28日:右衛門督
- 永正8年(1511年) 10月11日:参議
- 永正10年(1513年) 7月24日:正三位
- 永正15年(1518年) 12月30日:辞退(自去秋在国、未拜賀)
- 永正16年(1519年) 月日不詳:出家。6月3日:薨去(于越前国)