松波焸太郎
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- 1870年(明治3年)6月2日 - 美濃国厚見郡加納に生まれる[1][2]。父は松波丑吉。
- 1895年(明治28年)11月 - 第三高等学校医学部を卒業[注 2][6]。
- 1896年(明治29年)1月 - 医学得業士の称号を授かる[7]。
- 1895年(明治28年) - 岐阜県病院に勤務。
- 1897年(明治30年)10月 – 篠田晴江[注 4]と結婚する。
- 1898年(明治31年) – 長女、松波滿壽美が生まれる。
- 1899年(明治32年) – 『帝国医籍宝鑑』に岐阜県で開業する医師として掲載される[12]。
- 1900年(明治33年)5月12日 – 長男、松波義太郎[注 6]が生まれる。
- 1901年(明治34年)12月 – 妻、松波晴江が亡くなる。
- 1902年(明治35年) - 松波療院を岐阜県美濃国稲葉郡加納町本町三丁目に開業した[20][注 7]。
- 1902年(明治35年) - 尾關たみ[注 9]と再婚する。
- 1903年(明治36年)11月2日 – 次男、松波賢吾が生まれる[2][23]。
- 1904年(明治37年)1月16日 - ドイツ帝国[注 10]のグライフスワルト大学に留学するため、神戸港から出発した[注 11][27]。松波病院は休業とした。
- 1904年(明治37年)3月18日 - ドイツ帝国に到着した[注 12][27]。
- 1904年(明治37年)10月25日 - 病気療養のため留学を中断し帰国の途に就く[28]。
- 1905年(明治38年)9月10日 – 三男、松波茂三[注 13]が生まれる
- 1906年(明治39年) - 岐阜県立農学校の校医を務めた[31]。
- 1907年(明治40年)7月24日 - 留学再開のため、博多丸にて横浜港を発った[32]。
- 1907年(明治40年)9月16日 - ドイツ帝国に到着した[注 14][33]。
- 1907年(明治40年)9月 - グライフスワルト大学に復学した[34]。
- 1908年(明治41年)7月 - グライフスワルト大学からドクトルの学位を授かる[35][36]。
- 1908年(明治41年)9月2日 - アントジーベン発の常陸丸[注 15]で帰国の途に就く[35][36]。
- 1909年(明治42年)4月 - 松波病院に改称した[37][注 7]。
- 1917年(大正6年) - 加納町病院に改称した[38][注 7]。
- 1918年(大正7年)6月2日 - 近畿外科集談会にて講演した[注 16][39]。
- 1919年(大正8年)11月2日 - 近畿外科集談会総会にて講演した[注 17][40]。
- 1923年(大正12年) - 岡山医科大学専攻科に入学。
- 1923年(大正12年)2月24日 - 岡山医学会第34回総会にて講演した[注 18][41]。
- 1923年(大正12年)9月20日 - 岡山医学会通常会にて講演した[注 19][42]。
- 1925年(大正14年)10月15日 - 岡山医学会通常会にて講演した[注 20][43]。
- 1926年(大正15年)5月 - 岡山医学会5月例会にて講演した[注 21][44]。
- 1928年(昭和3年)9月18日 - 医学博士の学位を授かる[45]。
- 1928年(昭和3年)9月26日 - 岐阜県美濃国稲葉郡加納町に歿する[注 1][2][46]。行年58歳。
論文等
- 「骨髓性肉腫ノ一例」『德島醫學會雑誌』第26号、德島醫學會、1896年6月7日、10-17頁、doi:10.11501/1488981。
- Zwei Fälle von primären Muskelangiom. Inaugural-Dissertation zur Erlangung der Doktorwürde in der Medizin, Chiurugie und Geburtshülfe an der Hohen Medizinischen Fakultät der Königlichen Universität Greifswald. Buchdruckerei Hans Adler. 15 July 1908. OCLC 20946984.[注 22]
- 「ウンナ氏ノ所謂Y細胞ニ就テ」『岡山醫學會雜誌』第35巻第398号、岡山醫學會、1923年3月31日、123-134頁、doi:10.4044/joma1889.35.398_123。
- 「種々ナル刺戟ニ對シ各種白血球ガ如何ナル反應ヲ呈スルヤノ實驗的硏究(第一囘報吿 蟲類接種ニヨル白血球ノ態度)」『岡山醫學會雜誌』第38巻第433号、岡山醫學會、1926年2月28日、165-187頁、doi:10.4044/joma1889.38.433_165。
- 「種々ナル刺戟ニ對シ各種白血球ガ如何ナル反應ヲ呈スルヤノ實驗的硏究(第一囘報吿 蟲類接種ニヨル白血球ノ態度)」『岡山醫學會雜誌』第38巻第434号、岡山醫學會、1926年3月31日、310-337頁、doi:10.4044/joma1889.38.434_310。
- 「種々ナル刺戟ニ對シ各種白血球ガ如何ナル反應ヲ呈スルヤノ實驗的硏究(第二囘報吿 各種組織ニヨル白血球ノ態度)」『岡山醫學會雜誌』第38巻第440号、岡山醫學會、1926年9月30日、1017-1030頁、doi:10.4044/joma1889.38.440_1017。
- 「種々ナル刺戟ニ對シ各種白血球ガ如何ナル反應ヲ呈スルヤノ實驗的硏究(第三囘報吿 有機物接種ニヨル白血球ノ態度)」『岡山醫學會雜誌』第39巻第10号、岡山醫學會、1927年10月31日、1647-1656頁、doi:10.4044/joma1889.39.10_1647。
- 「種々ナル刺戟ニ對シ各種白血球ガ如何ナル反應ヲ呈スルヤノ實驗的硏究(第四囘報吿 無機物接種ニヨル白血球ノ態度)」『岡山醫學會雜誌』第39巻第11号、岡山醫學會、1927年11月30日、1890-1901頁、doi:10.4044/joma1889.39.11_1890。
- 「種々ナル刺戟ニ對シ各種白血球ガ如何ナル反應ヲ呈スルヤノ實驗的硏究(第五囘報吿 細菌接種ニヨル白血球ノ態度)」『岡山醫學會雜誌』第40巻第4号、岡山醫學會、1928年4月30日、821-835頁、doi:10.4044/joma1889.40.4_821。
- 「種々ナル刺戟ニ對シ各種白血球ガ如何ナル反應ヲ呈スルヤノ實驗的硏究(第六囘報吿 異物接種ニヨル白血球ノ態度)」『岡山醫學會雜誌』第40巻第5号、岡山醫學會、1928年5月31日、920-926頁、doi:10.4044/joma1889.40.5_920。
- 「種々ナル刺戟ニ對シ各種白血球ガ如何ナル反應ヲ呈スルヤノ實驗的硏究(第七囘報吿 綜合的觀察)」『岡山醫學會雜誌』第40巻第6号、岡山醫學會、1928年6月30日、1077-1086頁、doi:10.4044/joma1889.40.6_1077。
- 『種々ナル刺戟ニ對シ各種白血球ガ如何ナル反應ヲ呈スルヤノ實驗的硏究』岡山醫科大學〈博士論文〉、1928年9月18日。