松浦輝夫
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大阪府大阪市出身[3][5]。西野田工業高校[5]時代はラグビー選手であった[6]が、「山に登りたい一心で[6]」、1953年、早稲田大学教育学部に進学し[5][6]、1957年に卒業した[3]。卒業後は大阪市西区にある実家の松浦木材に入社した[7][8]。
1965年、ヒマラヤの標高8,383m[9]のローツェ・シャール峰に挑戦した早稲田大学隊に参加し、松浦は当時の日本人最高到達高度である8,180mを記録した[9]が、食料と酸素の残量が乏しかったため、遭難者をださないことを主眼として、やむなく登頂を断念した[9]。
1970年、36歳のときに[4]、日本山岳会エベレスト登山隊(総隊長・松方三郎、登攀隊長・大塚博美)に参加し、東南稜ルートのリーダーを務め、5月11日に当時29歳の植村直己とともに、日本人初のエベレスト登頂に成功した[3][4]。この功績に対して秩父宮記念賞を受賞した[3]。
1981年、早稲田大学K2登山隊の隊長を務め、8月7日、2隊員[注 1]の西稜ルートから標高8,611mのK2初登頂を成功させた[10][3]。
その後は、本格的登山から退き[注 2]、本格的に家業の経営にあたるようになった[12]。1980年代には、所有している賃貸住宅に「ハイムK2」、エベレストの標高にちなんだ「ハイム8848」[注 3]という名称を付けている[13]
1991年、屋久島に単身で移住し、本格的に陶芸に打ち込む[12][11][注 4]。当地で陶芸作品を観光客に販売するなどして得た資金で、ネパールの学校へ奨学金を送る活動を行った[12][15][14]。2001年、大阪市に戻った[11]。
2015年2月に白血病となり[7]、11月6日に白血病と肺炎のため死去した[1][5]。81歳没、享年82[1][5]。