松浦辰男
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松浦 辰男(まつうら たつお、天保15年〈1844年〉 - 1909年〈明治42年〉)は江戸時代から明治時代の歌人、歴史学者、平田篤胤の流れ国学者、官僚。位階および勲等は従七位・勲六等。最後の桂園派歌人と呼ばれた。柳田國男や田山花袋の師として知られる。
京都にて生まれる。桂園派の直系である香川景恒の門下で、香川景樹には師事しなかったが、その晩年の高弟である松波遊山とは親交が深かった。妻は大溝藩の原田全揖と磯島氏の娘の須賀子で、嘉永元年に生まれ、1873年に没した。辰男は1876年に太政官歴史課に出仕し、1891年に東京帝国大学書記を退官するまで重野安繹などと共に修史局の事業に携わった。有栖川宮家に仕えていたことから宮内省の編纂事業にも携わり、有栖川宮熾仁親王についての基本的な伝記である『熾仁親王行実』の編纂を行なっている。牛込区市谷田町に住した。墓所は品川の東海寺大山墓地。戒名は萩坪起陽居士。