松田博公

From Wikipedia, the free encyclopedia

松田博公(まつだ ひろきみ、1945年ー、神戸市近郊生まれ)は、日本の鍼灸師、黄帝内経研究家、鍼灸ジャーナリスト、元共同通信社編集委員。元東洋鍼灸専門学校副校長。国際基督教大学卒。東洋鍼灸専門学校卒。明治国際医療大学大学院鍼灸学専攻通信教育課程修了。日本伝統鍼灸学会顧問。日本内経医学会顧問。東京都はり・きゅう・あん摩マッサージ指圧師会学術顧問。

東京都はり・きゅう・あん摩マッサージ指圧師会にて黄帝内経研究の講習会「松塾」の講師を務めた。『鍼灸の挑戦』(岩波新書)が鍼灸書籍としては異例の出版から5年で9刷、39,000部のセールスを記録した。

〈以上出典:[1][2]

・大学から共同通信社入社

1964年に大学に入学したが、大学闘争とベトナム反戦運動の渦中にいた。マルクス、マルクーゼ、ニーチェ、シュールレアリズム、ユング、吉本隆明、現代詩などを乱読し、学生新聞を編集しつつバリケードと街頭にいた[3]

共同通信社時代には、記者4年目(1972年)にして、四日市公害取材の途中で突然の発熱で寝込む。担当医からは慢性肝炎と診断された。後年になり本人が考えるところでは、脂肪肝だったのだろうと思っている。慢性肝炎の治療として高たんぱく・高カロリーの食事が出され続け、4か月半入院しても一向に改善しなかった。このまま病院にいては死ぬと思った松田は退院を決意し、自宅療養が始まる。当時は戦後の第一次自然食ブームで、食事を玄米食に変えたところ、一か月半で肝機能が正常値に戻った。このことから、松田は食養生、漢方、鍼灸に対して関心を寄せ始める[4]

・食養生、小倉重成

職場に復帰する前に、食養生、漢方に関する本を読みふけり、医師・小倉重成の『自然治癒力を活かせ』(創元社)を読み、木更津市の小倉の診療所に入院することを決意する。そこでは患者が自然治癒力で治るように、玄米菜食一日一食、マラソン10キロ、なわとび5000回、座禅などの課題が課せられていた。この1か月の入院ののちに職場に復帰する[4]

・ウーマン・リブ、田中美津

1977年から7年間「女性運動」の取材を続けた。偶然、隣の女性記者の机上に「ウーマン・リブ」のパンフレットが置いてあり、その「何者にも規定されないあるがままの自分を生きる」というメッセージに、60年代後半の自己と同じ感性を感じたのがきっかけだった。ウーマン・リブは「メディアを通してではなく、手作りの表現方法で伝えていきたい」という方針のため、取材は拒絶される。その後も松田は「男なのになぜ?」と疑問視されながらリブの取材に集中し、1970年代リブ運動の代表的な人物、田中美津とは友人になった[3]。田中美津のラ・ヴィダの会に属し、5年間、秩父、長野で共に「からだ合宿」を運営する。彼女の『何処にいようと、りぶりあん−田中美津表現集』(社会評論社、2025年、インパクト出版会から復刊)は松田が1983年に編集した。タイトルも松田の命名である。

記者時代には「メディアが取り上げない、世界を新しい目で見直すために必要な情報」を知らせることを方針とした。「ラディカルな女性解放運動」のほか、「障害者の自立生活」「学校・教育無化の思想」「ミシェル・フーコーの思想」「ディープ・エコロジー」「ニューサイエンス」「宗教界の新しい動き」「ダライ・ラマ」「セクシュアル・マイノリティ」などを扱った。オウム真理教事件の際の、伝統宗教やヨガの修行に対するメディアの誹謗中傷に対して対論する評論を書いたことも。鍼灸も1980年代当時は「メディアが扱わない」テーマだった[3]。その過程で、同じくフーコーやイバン・イリイチの思想の影響下に教育現場で思考していた定時制高校教諭、佐々木賢と出逢い、2冊の対談集『果てしない教育?』『教育という謎』(共に北斗出版)を出版する。

のちに睾丸腫瘍を患い、がんであると思いたくなく、検査を受けずに自分で漢方のエキス剤を飲んで1年以上やり過ごしていた。その後病状が急変し、緊急手術を受けることになる[4]

手術から目が覚め、痛みで苦しむ松田の枕元に、当時鍼灸学校に通っていた田中美津がやってきて「まったさん、退路を断たなきゃだめよ、退路を断たなきゃ」と言ったという。その意味が松田はわからなかった。後年の松田の解釈では、田中は松田ががんであると知っており、今までのいいかげんな生活から生き方を変えなければ、退路はないと叱咤したのだと捉えている[4]

退院後は小倉の教えの「座禅」を思い出し、一年間ほど続けていると、突然「鍼灸を学べ」という言葉が下りてきた[4]

共同通信社在籍中に東洋鍼灸専門学校の夜間に通学し、会社から学校に行き、そのまま会社に戻るという生活を続け、当時は身体がボロボロになっていたという[3]

・『鍼灸の挑戦』

鍼灸学校を卒業し、鍼灸師資格を取得後も、10年間は鍼灸に対する思いの深さから記事を書かなかった。共同通信社の定年5年前に、テーマとしてきた「教育」と「鍼灸」のどちらで最後の仕事をするかを考え、「鍼灸」を選んだ[3]

共同通信加盟紙にて、鍼灸師の人物像をテーマとした記事を不定期配信し始める。5年間で北海道から九州まで100人近くの鍼灸師のもとを訪れ、結果として『鍼灸の挑戦』(岩波新書)という形で、出版される[3]

『鍼灸の挑戦』で鍼灸医療の可能性と鍼灸師の人間としての魅力を描いた松田は、次の著作『日本鍼灸へのまなざし』では、日本鍼灸が世界鍼灸になるには何が足りないか、地球的視野から理論的、歴史的な問題提起を行っている[4]

以後松田は『東洋医学 鍼灸ジャーナル』(緑書房)で鍼灸師との対談を2008年から2013年の間、連載する。

・鍼灸ジャーナリストから黄帝内経研究家へ

松田は共同通信記者時代、ジャーナリストなどおこがましくて、名乗ったことはなかったという。しかし、鍼灸の取材を行う上で肩書が必要となり、半ば冗談で「鍼灸ジャーナリスト」を名乗るようになった[4]

その後松田のテーマは、鍼灸師への取材から東洋医学の原典である『黄帝内経』に変わっていく。東京都はり・きゅう・あん摩マッサージ指圧師会にて、「あるがままの『黄帝内経』を丸ごと読む」ことをテーマに、『黄帝内経』の宇宙観の講義を中心に、勉強会「松塾」を開講することとなる[4]。現在は、江戸時代の八戸の医師、思想家、安藤昌益の生涯への関心を深めている。

対談者一覧(「日本鍼灸を求めて」シリーズより)

『日本鍼灸を求めてⅠ』

  • 傳田光洋(皮膚科学研究者)

「先端皮膚科学から見た鍼灸治療の"新常識"」

  • 藤本蓮風((一社)北辰会会長・日本伝統鍼灸学会の顧問・株式会社 藤本漢祥院 院長)

「鍼狂人語る」

  • 吉川正子(東方鍼灸院院長)

「経脈を使いこなす、名付けて『陰陽太極鍼法』」

  • 向野義人(福岡大学病院 東洋医学診療部 初代診療部長)

「病気は日常の動作に発見できる」

  • スティーブン・ブラウン&ジェファリー・ダン(米国鍼灸師)

「生命のプロセスへの信頼感を」

『日本鍼灸を求めてⅡ』

  • 谷岡賢徳(大師流小児鍼三代目)

「観察眼が進化させる大師流小児鍼」

  • 戸ヶ崎正男(蓬治療所所長・和ら会代表)

「自然治癒力を医療の中核にー任督中心療法、ツボの四型分類から見えてくるもの」

  • 鈴木春子(国立がん研究センター中央病院・同東病院緩和ケア科)

「希望の小窓を開けておくーがん患者の心と痛みのケア」

  • 木戸正雄(天地人治療会代表)

「人体を小宇宙と捉える天・地・人治療ー臨床から読み直す古典の真髄」

  • 篠原昭二(九州看護福祉大学教授、明治鍼灸大学教授)

「臓腑病・経脈病・経筋病・外感病を鑑別!ー中医学と日本鍼灸で構築する独自の臓腑経絡システム論」

  • 形井秀一(日本伝統鍼灸学会4代目会長、筑波技術大学名誉教授)

「危機の中の日本鍼灸ー中国鍼灸界の世界戦略と直面する諸問題」

『日本鍼灸を求めてⅢ』

  • 首藤傳明(日本伝統鍼灸学会3代目会長、大分県鍼灸師会会長、弦躋塾塾長)

「鍼は人なりーYour Needle Reflects What You Are.」

「易の思想で全鍼灸を包括するー根元の陰の気で捉え直す生と死」

  • 村上三千男(東洋はり医学会役員)

「経絡治療を世界の果てまで広めるー継承される実践重視の技術革新」

  • 大極安子(子どもはりの会代表 ハリ・キュウ治療室モモの木代表)

「小児鍼と発達心理学でコミュニティを再生ー子育てする母親を孤立させない社会目指して」

  • 水谷潤治(NAJOM(北米東洋医学誌)主幹)

「日本鍼灸を海外に発信! 広まる”世界お灸ネットワーク”」

  • 二木清文(滋賀漢方鍼医会会長)

「鍉鍼と脈で極める経絡治療ー治療も研究もオープンマインドで」

『日本鍼灸を求めてⅣ』

  • 石原克己(日本伝統鍼灸学会5代目会長、東京九鍼会初代会長)

「病気には必要性と役割があるー九鍼とヒーリングで魂の根源にかかわる」

「効かせるお灸で“場”を正常に戻すー灸の効果は取穴と技術のかけ算」

  • 鈴木眞幸(東雲堂鍼灸院院長)

「こころの病に頚の経穴で対処ー臨床の道標『黄帝内経』の本質を追究」

  • 河野紘(山口県鍼灸師会会長)

「人体のブラックボックスを気診で覗くー鍼灸師法成立に燃える想い」

  • 辻内敬子、小井土善彦(せりえ鍼灸室副院長&院長)

「女性支援から広がる地域ネットワークー鍼灸師だからできた出産・子育てケアモデル」

  • 三輪正敬(災害鍼灸マッサージプロジェクト代表、いやしの道協会副会長)

「災害時に鍼灸師ができることー東日本大震災ボランティアの経験」

(以上出典:[1][5][6][7])

その他

著作として出版されていないが「東洋医学 鍼灸ジャーナル」にて連載された記事の人物をここに記載する。

「良い手・良い鍼・良い文献」東洋医学鍼灸ジャーナル4号(2008-09)

  • 松本岐子(ハーバード・メディカルスクール卒後研修鍼灸コース講師)

「「あの日以来」のうつ病は鍼で治る--ボストン発、新境地を開き続ける長野式キー子スタイル」東洋医学鍼灸ジャーナル15号(2010-07)

  • 吉元昭治(吉元医院院長)

「『黄帝内経』の宇宙論的な思想に還れ-人間を根元から見る天人合一思想の重要性」東洋医学鍼灸ジャーナル23号(2011-11)

  • 小野直哉(財団法人 未来工学研究所 主任研究員)

「持続可能な文明と医療のために」東洋医学鍼灸ジャーナル26号(2012-05)

著作一覧

  • 『鍼灸の挑戦: 自然治癒力を生かす』 岩波書店 (2005/1/20)、ISBN-10  : 4004309328、ISBN-13  : 978-4004309321
  • 『柳谷素霊に還れ―足跡、思想を通して昭和鍼灸を考察する』医道の日本社 (2009/9/1)、ISBN-10  : 475291123X、ISBN-13  : 978-4752911234
  • 『日本鍼灸へのまなざし』ヒューマンワールド (2010/6/1)、ISBN-10  : 4903699250、ISBN-13  : 978-4903699257
  • 『松田博公対談集―日本鍼灸を求めてⅠ』緑書房 (2010/11/25)、ISBN-10  : 4895318478、ISBN-13  : 978-4895318471
  • 『松田博公対談集―日本鍼灸を求めてⅡ』緑書房 (2013/3/26)、ISBN-10  : 4895318575、ISBN-13  : 978-4895318570
  • 『松田博公対談集―究極のわざへ 日本鍼灸を求めてⅢ』Amazon Kindle(2023/12/14)
  • 『松田博公対談集―甦るいのち 日本鍼灸を求めてⅣ』Amazon Kindle(2024/6/1)
  • 『果てしない教育 教育を超える対話 増補版』北斗出版 (1993/10/1)、ISBN-10 : 4938427311、ISBN-13 : 978-4938427313
  • 『教育という謎 消費社会の文化変容』北斗出版(1992/12/1)、ISBN-10: 4938427664 ISBN-13: 978-4938427665
  • 『福田稔の気血免疫療法 やらんばなるまい医療革命!!』 静風社 (2014/12/20)、ISBN-10 : 4990753704、ISBN-13 : 978-4990753702
  • 金仁顥監訳『チャチュンビ伝説 済州島のシャーマン神話』工作舎(1988/12/20)を編集、ISBN-10 : 487502150X、ISBN-13 : 978-4875021506

寄稿

受賞

脚注

Related Articles

Wikiwand AI