松田重助
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経歴
熊本藩士・林桜園に国学を学び[1]、宮部鼎蔵に兵学を学ぶ。弘化3年(1846年)に藩の小役人に取り立てられるも大政を論じて働かず、閑職である二の丸玄関番に格下げされた。嘉永6年(1853年)に江戸へ出ると過激な尊皇攘夷活動に参加。幕府によって指名手配され、人相書が貼り出されるようになったが、変装・変名などは用いずに大胆な活動を続ける。
文久3年(1863年)の八月十八日の政変で、公卿たちと共に京都を去る(七卿落ち)。再び上洛して同志らと再挙を謀っていたところ、元治元年(1864年)6月5日、池田屋事件に遭遇し、新選組に捕縛される。その翌朝、脱走して河原町まで逃げたが、見廻りの会津藩士らによって殺害された。享年35。明治24年(1891年)、従四位を贈られる[2]。