最初はベルギーに留学し、その後アメリカに移って、ウィスコンシン大学を卒業した。続いてドイツのヴュルツブルク大学に入学し、法学博士号を取得した。
1923年(民国12年)に帰国し、孫文(孫中山)が率いる広東軍政府に加入して、大元帥府秘書に任命された。以後、ドイツ公使館館員、国立北京大学講師、上海臨時法院推事を歴任している。1928年(民国17年)12月、国民政府司法院秘書となり、翌年4月、江蘇高等法院署理院長に就任した。1934年(民国23年)3月に辞職して、蘇州で弁護士を開業した。
1940年(民国29年)3月30日、汪兆銘(汪精衛)が南京国民政府(汪兆銘政権)を樹立すると、林彪もこれに参加した。同日、行政法院院長に任命され[1]、翌月には行政法院庭長も兼任した[2]。これらの地位には、政権崩壊まで一貫して在任した。1945年(民国34年)1月、各国在華治外法権撤廃委員会委員を兼任している。
汪兆銘政権崩壊後における林彪の消息は不明である。なお、林彪が漢奸として摘発されたとの情報は見当たらない。