大和郡山藩士・柳沢保教(柳沢吉保の姉婿である柳沢信花の養子)の五男。母は田中氏。享保10年(1725年)、先代藩主の経隆が早世したため、その養嗣子として跡を継ぎ、同年12月18日に叙任する。大坂加番や日光祭礼奉行を務めるなどしたが、養父同様に享保20年(1735年)11月2日、27歳で江戸牛込の藩邸にて死去した。跡を養嗣子の里旭が継いだ。なお、経隆は松平姓の名乗りを許されていたが、里済の代から改めて柳沢姓を称することを命じられている。法号は鷲峰院一枝道華。墓所は東京都新宿区市ヶ谷河田町の正覚山月桂寺。