柳瀬尚紀
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ジョイスの翻訳
北海道根室市出身。1965年に早稲田大学第一文学部卒業、1967年同大学院文学研究科修士課程卒業、1970年同大学院文学研究科博士課程満期終了退学。1977年に成城大学助教授、1991年に辞職。
1976年にエリカ・ジョング『飛ぶのが怖い』の訳書がベストセラーとなり、「飛んでる女」が流行語となる。その後もジョング作品の翻訳を続けている。コレット・ダウリング『シンデレラ・コンプレックス』の訳はロングセラーとなった。
ルイス・キャロルの翻訳も多く、高校時代に数学者を志していた[2]ほどで、数学に詳しい。前衛的な文学作品を多数翻訳。英語・国語辞書や翻訳・国語論に関する著作も多い。
趣味の領域を超えた活動も数多く、関連書籍も刊行した。
- 1981年に、第3回日本雑学大賞を受賞。
- 1987年には「猫の日制定委員会」を発足させるなど、猫好きである。
- 将棋ファンであり、将棋に関する著作を米長邦雄や羽生善治との共著で数冊出している。
- 競馬では「中央競馬GI 競走出走馬馬名プロファイル」を開催日に配布されるレーシングプログラムに掲載している。アナグラムの多用が特徴である。また、2008年より使用されている中央競馬の新馬戦の呼称「メイクデビュー」を考案した。
2016年7月30日に肺炎のため死去。73歳没。
大学院時代に鈴木幸夫教授のグループでジェイムズ・ジョイスの翻訳を『早稲田文学』に連載していた[3]。
翻訳不可能と言われたジョイスの『フィネガンズ・ウェイク』を独自の造語を用いて翻訳したことは話題となり、日本翻訳文化賞、BABEL国際翻訳大賞、日本翻訳大賞を受賞。また、『ジェイムズ・ジョイスの謎を解く』(岩波新書)では『ユリシーズ』12章の語り手が犬であるという新説を打ち出した。
『ユリシーズ』訳を継続中のまま、2016年7月に逝去。同年12月に『ユリシーズ 1 - 12』(12章まで)が刊行された[4]。2017年7月に刊行された『ユリシーズ航海記 「ユリシーズ」を読むための本』(河出書房新社)には、「ユリシーズ 13 - 18 試訳と構想」という一章に、未刊に終わった第13章から18章の試訳(一部は断章)が掲載された[5]。
著書
- 『ノンセンソロギカ 擬態のテクスチュアリティ』(朝日出版社、エピステーメー叢書) 1978年
- 『翻訳困りっ話』(白揚社) 1980年、のち河出文庫 1992年
- 『英語遊び』(講談社現代新書) 1982年、のち河出文庫 1998年
- 『翻訳からの回路』(白揚社) 1984年、のち改題『翻訳は実践である』(河出文庫) 1997年
- 『ズーっとみんななかよしニャンだ』(開隆堂出版) 1985年
- 『ナンセンス感覚』(講談社現代新書) 1986年、のち河出文庫 1998年
- 『フィネガン辛航紀 『フィネガンズ・ウェイク』を読むための本』(河出書房新社) 1992年
- 『辞書はジョイスフル』(TBSブリタニカ) 1994年、のち新潮文庫 1996年
- 『ジェイムズ・ジョイスの謎を解く』(岩波新書) 1996年
- 『G1出走馬馬名読本』(ミデアム出版社) 1998年
- 『広辞苑を読む』(文春新書) 1999年
- 『翻訳はいかにすべきか』(岩波新書) 2000年
- 『猫舌流英語練習帖』(平凡社新書) 2001年
- 『猫舌三昧』(朝日新聞社) 2002年
- 『猫と馬の居る書斎』(自由国民社) 2003年
- 『辞書を読む愉楽』(角川選書) 2003年
- 『言の葉三昧』(朝日新聞社) 2003年
- 『日本語は天才である』(新潮社) 2007年
- 『日本語ほど面白いものはない 邑智小学校六年一組特別授業』(新潮社) 2010年
- 『ユリシーズ航海記 「ユリシーズ」を読むための本』(河出書房新社) 2017年
- 『ことばと遊び、言葉を学ぶ』(河出書房新社)2018年