鹿児島県鹿児島市出身[1]。旧制鹿児島県立第二鹿児島中学校(現鹿児島県立甲南高等学校)、ラ・サール高等学校卒業[2]。
1959年、学習院大学政経学部政治学科卒業[1]。大学時代には囲碁部に所属し、のちに囲碁アマ四段、将棋アマ二段となる[3]。
中央公論社に入社。「中央公論」「週刊公論」「暮しの設計」[1]「経営問題」「小説中央公論」[3]の雑誌編集に携わったあと、1962年「思想の科学」天皇制特集号事件で労組委員長として闘争し[1]。1972年に退職[3]。
のちフリーのジャーナリスト、編集者として活躍した。
1959年、加太こうじ、タカクラ・テル、佐藤忠男、福田定良らと「大衆芸術研究会」を創設。