柴山ヒデアキ
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実家は祖父が営む駄菓子屋(父は会社員)。生後3ヶ月で血小板減少性紫斑病を発症。当時治癒の難しい難病であったが運よく寛解。ただし治療の過程でステロイドを投与した結果、乳児期には重度の肥満となり、その後、いじめやコンプレックスの多い幼少期を過ごす。この環境が屋内で絵を描く習慣につながった。
1993年に山梨学院大学商学部経営情報学科入学。デザイン系の専門学校を希望したが、両親の強い希望で四年制大学に進学。本人は画学校でなければどこでもよかったので進路希望に偏差値基準で適当な志望校を書いたが、やはり両親から「せめて名前が知れた学校に」ということで駅伝の強かった大学を選んだ。後にマラソンを趣味とした頃にこの学歴が役に立つことが多かった。
2年生のときに入部したコンピューター研究会でMS-DOSベースのドット打ちを経験し、具体的に絵を仕事にしたいと考えるようになった。しかし美術系とは遠い専攻だったため、当時は希望した進路に進むことができず、卒業後は地元のシステム開発会社に入社。
システム開発会社に就職するも、絵を生業にする意志が諦められず、プログラマとして専門学校に入り直す学費を貯めることに注力した。一方、業務では一般に普及する直前のIT技術を身につけることができ、これが後にデジタルベースで制作する活動に役立つことになる。
やがて会社のwebサイト制作担当(当時は"ホームページ担当"という呼称)を任され、練習として運用していた自身のwebサイトにイラストをアップロードしたことがきっかけで、インターネットの掲示板やメールなどを通じ、同じ趣味の友人を多く作ることができた。これが「イラストで人と人がつながる」と確信する経験となった。
2000年にデジタルハリウッド御茶ノ水本校(現デジタルハリウッド大学の前身)に入学。三年間の貯金で進学と生活がまかなえる学校ということで同校を選んだ。ここではSoftimageを使用した3DCGを学ぶ。卒業制作は「デジタル・フロンティア2001」に入賞した。
その後テクモ株式会社(現コーエーテクモホールディングス)でモンスターをはじめとするキャラクターデザイナー職に抜擢されるが、1年で事業部が消滅するという憂き目に遭い退社。デジタルハリウッド時代の先輩に誘われ、業務委託としてフリーランスのCGデザイナーに転身。10年ほど、ゲーム・映画・CM等の映像制作を行っていた。また、この間はイラストレーターとしての業務も並行していた。
やがてパチンコ(ギャンブル)関連の業務が増えてモチベーションが保てなくなったことや、ハードウェアの進化でCGの制作方法がエンジニア的になっていったことで、当初の志に立ち返り2009年からイラストレーターを専業とした。