栄町 (館林市)
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歴史
1970年(昭和45年)9月1日、大字館林字目車町・谷越町、大字谷越字萱場・樋ノ口、大字成島字天神・小泉口の各一部が合併し栄町となった[5]。
旧館林城下町名の歴史
目車町 (めぐるまちょう)
慶長2年(1597年)に日光脇往還が整備されるまでは、武蔵国方面からの館林城へのアプローチは、当時は小田原街道と呼ばれた旧目車通り(現栃木県道・群馬県道223号寺岡館林線)のみであった[5]。
目車という地名の起源には諸説あるが、地形が元となったとされる説では、町の南端を流れる鶴生田川周辺は湿地帯でまっすぐに道を引けず、遠回りに巡りって目車台地に達したことから、迂回路といった意味でついた地名だとされる[5]。
目車町南西には、館林城下から町外に出る5つの門のうちの1つ、「小泉口御門」があった[6]。幕末には冠木門に改装され、この守衛役を木戸守と呼んだという[6]。各門の木戸守は5人ずつであったが、小泉口の担当は広瀬三右衛門、川村清太郎、酒井亀太郎、水野農次郎、小倉清次郎であった[6]。木戸守は藩主の家中ではなく、「城付侍」と呼ばれる城に付属する侍で、藩主の転封があっても従って移動する必要がなく、また給田は二段があてがわれていたという[6]。
人口
小・中学校の学区
行政
- 群馬県 館林土木事務所
経済
地域
名所・旧跡
- 小泉口門跡石碑