根岸栄三郎
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1903年(明治36年)、埼玉県北埼玉郡飯泉村(現・埼玉県羽生市)生まれ。農業を営む父・根岸重次郎と妻・いわの四男(末子)として生まれる。長兄から家業を手伝うように言われていたが、進学して学業を積み社会貢献できる人になりたいと、横浜の親戚の家に行き、1915年(大正4年)10月に幼くして横浜の富士瓦斯紡績(株)で働きながら夜間中学に通った。
ところが睡眠不足で神経衰弱になり、一高・東大の道をあきらめ、発明家の道を目指そうと東京の築地工手学校(現・工学院大学)機械科の夜間に通う。
1922年(大正11年)に築地工手学校を卒業、と同時に先輩が設立した横浜紡績株式会社に移籍して工務主任技師を務める。1924年(大正13年)の関東大震災で同社倒産後、館林の上毛モスリンに移籍し発明に着手。その後、1926年(大正15年)、桐生高等工業学校(現・群馬大学工学部桐生キャンパス)に移籍。1935年(昭和10年)、判任官助手を経て桐生高等工業学校助教授となる[8]。
発明した技術の工業化をめざし、埼玉県北足立郡与野町(現・さいたま市中央区新中里)に工場を建て[9]、1937年(昭和12年)に桐生紡織機興業所、1940年(昭和15年)に興亜紡機を設立して自動管巻機の生産を開始し良質な織物を効率よく作るのに貢献。その後、空気精紡機を発明し、1949年(昭和24年)、その実験工場として東興紡績を設立。