根岸栄三郎

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根岸 栄三郎(ねぎし えいざぶろう、1903年(明治36年)3月11日 - 1994年(平成6年)9月8日)は日本の発明家実業家。繊維機械および各種回転方法の発明や改良を行い、日本の産業発展に大きく貢献した。桐生高等工業学校(現・群馬大学理工学部桐生キャンパス)助教授、興亜紡機(株)社長[1]、埼玉県発明協会副支部長を歴任[2]

ノンタッチ管巻機[3][4]、自動管巻機、ポット(空気)精紡機[5][6]を発明。藍綬褒章[7]紫綬褒章勲四等旭日小綬章を受賞。

1903年(明治36年)、埼玉県北埼玉郡飯泉村(現・埼玉県羽生市)生まれ。農業を営む父・根岸重次郎と妻・いわの四男(末子)として生まれる。長兄から家業を手伝うように言われていたが、進学して学業を積み社会貢献できる人になりたいと、横浜の親戚の家に行き、1915年(大正4年)10月に幼くして横浜の富士瓦斯紡績(株)で働きながら夜間中学に通った。

ところが睡眠不足で神経衰弱になり、一高・東大の道をあきらめ、発明家の道を目指そうと東京の築地工手学校(現・工学院大学)機械科の夜間に通う。

1922年(大正11年)に築地工手学校を卒業、と同時に先輩が設立した横浜紡績株式会社に移籍して工務主任技師を務める。1924年(大正13年)の関東大震災で同社倒産後、館林上毛モスリンに移籍し発明に着手。その後、1926年(大正15年)、桐生高等工業学校(現・群馬大学工学部桐生キャンパス)に移籍。1935年(昭和10年)、判任官助手を経て桐生高等工業学校助教授となる[8]

発明した技術の工業化をめざし、埼玉県北足立郡与野町(現・さいたま市中央区新中里)に工場を建て[9]、1937年(昭和12年)に桐生紡織機興業所、1940年(昭和15年)に興亜紡機を設立して自動管巻機の生産を開始し良質な織物を効率よく作るのに貢献。その後、空気精紡機を発明し、1949年(昭和24年)、その実験工場として東興紡績を設立。

業績

叙勲・表彰

脚注

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