桃山天満宮

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所在地 京都府京都市伏見区御香宮門前町174
位置 北緯34度56分5.0秒 東経135度46分3.0秒 / 北緯34.934722度 東経135.767500度 / 34.934722; 135.767500 (桃山天満宮)座標: 北緯34度56分5.0秒 東経135度46分3.0秒 / 北緯34.934722度 東経135.767500度 / 34.934722; 135.767500 (桃山天満宮)
主祭神 菅原道真
例祭 6月25日
桃山天満宮

正面
所在地 京都府京都市伏見区御香宮門前町174
位置 北緯34度56分5.0秒 東経135度46分3.0秒 / 北緯34.934722度 東経135.767500度 / 34.934722; 135.767500 (桃山天満宮)座標: 北緯34度56分5.0秒 東経135度46分3.0秒 / 北緯34.934722度 東経135.767500度 / 34.934722; 135.767500 (桃山天満宮)
主祭神 菅原道真
例祭 6月25日
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桃山天満宮(ももやまてんまんぐう)は、京都市伏見区御香宮門前町にある神社御香宮神社の境内にある[1]

歴史

明徳元年(1390年)頃、御香宮神社より300メートルほど東にあった禅宗寺院の蔵光庵[1]の僧の夢枕に菅原道真が立った。その数年後、同門の僧から蔵光庵に菅原道真の絵像が送られてきたが、その絵像はかつてその僧が夢枕で見た道真と同じ姿をしていたという。そこで、その僧は自分の学問を守ってくださる神として蔵光庵に道真を祀ることとした[2]。こうして応永元年(1394年)秋に当社は蔵光庵の守護神として創建された[1]

文禄3年(1594年)に豊臣秀吉伏見城を築城し、諸大名の屋敷を城の周辺に作らせた。その際に前田利家が自分の先祖は菅原道真であるからと、当社に隣接した場所に屋敷を建てて当社に帰依した。しかし、江戸時代になって前田家の屋敷は撤去され、伏見城も廃城になると当社を管理するものがなくなり衰微してしまった[1]

それでも、当社は山ノ天神と呼ばれ、2月と6月には伏見にある寺子屋の子供たちから参拝を受けていた[2]

その後、廃れてしまったので天保12年(1841年)に御香宮神社の西にある観音寺の住職・教覚和尚が本谷市造と宮大工坂田岩次郎の協力を得て[2]、観音寺の近くに移転させ、教覚により祀られた[1]

この時、坂田岩次郎は大工道具を完成御礼として当社に奉納している。この大工道具約70点は日本の木造建築を支えた道具文化財として保存されている[2]

1969年昭和44年)に御香宮神社の表門を入った東側にある現在地に移された[1]

当社は御香宮神社の境内の中にあるが、御香宮神社の摂社などではなく独立した神社である[1]

境内

  • 本殿
  • 幣殿
  • 拝殿
  • 社務所
  • 伏見城跡残石 - 伏見城の石垣の石。

摂末社

  • 厳島社
  • 合祀社 - 老松社、白大夫社、紅梅殿。

年中行事

  • 例祭 - 6月25日

所在地

  • 京都府京都市伏見区御香宮門前町174

アクセス

脚注

外部リンク

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