正保2年(1645年)、3代藩主・桑山一玄の長男として誕生。正室は松平忠弘娘。
延宝5年(1677年)8月23日、父の隠居により家督を継ぐ。このとき、弟の一慶に1200石、一英に800石を分与したため、新庄藩は1万1000石となった。
天和2年(1682年)5月、寛永寺において4代将軍・徳川家綱の法会のとき、院使饗応役を命ぜられていたが、勅使に対して不敬があったとして、5月26日に改易された。他説では、陸奥国八戸藩主・南部直政と対立していたことが要因だったとも言われている(直政は非常に学識が高いことから家綱の覚えがめでたく、一尹の死後ごく短期間ではあるが、外様大名としては異例の側用人に取り立てられる)。その後は身柄を弟の一慶や一英に預けられ、終身扶助として米300俵を与えられた。
天和3年(1683年)閏5月11日、父に先立って死去した。享年39。
桑山氏 大和新庄藩4代藩主 (1677年 - 1682年) |
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| 永井家 | |
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