桜デパート
閉店した百貨店
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概要
1945年(昭和20年)12月8日に桜商会として進駐軍向け土産物店を個人創業[2]。
1948年(昭和23年)12月に有限会社桜商会として法人化し[2]、1952年(昭和27年)11月に株式会社桜商会に改組した[2][4]。 1953年(昭和28年)12月1日に株式会社桜デパートと商号変更を行い[5]、、同日に[6]鉄筋コンクリート造2階建て・850m2の店舗を完成させた[2]。
1956年(昭和31年)7月1日に[5]3階建て・3,075m2まで増床[2]。1960年(昭和35年)4月に4階建て・4,950m2まで増床[2]。1965年(昭和40年)11月に5階建て・5,250m2まで増床した[2]。1975年(昭和50年)3月には新消防法への適用と共に店舗を約2倍に拡張した[7]。
この間の1974年(昭和49年)4月には寿屋と資本提携し[8]、救済される形でその系列下に入った[9]。
大隅半島初のショッピングセンターであるプラッセだいわ鹿屋店が開業した1991年(平成3年)12月5日にショッピングプラザさくら(寿店の増床計画)の構想を南日本新聞の紙面上で広告として発表し[10]、1993年(平成5年)1月29日には大規模小売店舗法に基づく出店届を提出したが[11]実現には至らなかった。
1994年(平成6年)8月31日に鹿屋本店が閉店[12]。1998年以降は寿屋とくらし館が5店舗の営業権を継承して営業を続けた[13]。
しかし、親会社だった寿屋の構造改革に伴い、1999年(平成11年)12月21日の臨時株主総会で解散を決議した[14]。大隅半島の倒産企業における負債金額の規模では丸栄建設(2008年破綻)に次ぐ[15]。1994年8月末時点の資本金は8,500万円、従業員数は110人であった。
1980年代までの鹿屋市で買い物といえば、鹿屋市中心部にあった桜デパートや遠矢百貨店、タイヨーが一般的であったが、1991年(平成3年)の市役所の移転や1992年(平成4年)の国道220号鹿屋バイパスの全線開通などを機に、衰退の一途をたどった。現在の鹿屋市付近の買い物は鹿屋バイパス沿いのロードサイド店舗が中心となっている。[要出典]
会社データ
1989年時点[16]。
- 本部所在地:鹿児島県鹿屋市寿四丁目14番26号
- 資本金:8,000万円
- 店舗数:8
- 従業員数:435人
- 平均年齢:27.6歳
- 関連企業:ラッキーマート、桜外食
店舗
1998年以降は寿屋が営業権を貸借していたが、同社の倒産に伴いいずれも2002年2月に閉鎖された。
鹿児島県
鹿屋市
- 1956年(昭和31年)7月1日に[5]3階建て・店舗面積3,075m2まで増床[2]。
- 1960年(昭和35年)4月に4階建て・店舗面積4,950m2まで増床[2]。
- 1965年(昭和40年)11月に5階建て・店舗面積5,250m2まで増床した[2]。
- 1975年(昭和50年)3月には新消防法への適用と共に店舗を約2倍に拡張した[7]。
- 本店の店舗は地上7階建てでありいわゆるデパ地下も存在した(朝日新聞記事に基づく、1973年時点は4階建て[要出典])。敷地面積は2,385平方メートル、店舗面積は9,000平方メートル。
- 1994年(平成6年)8月31日をもって休業し、再開店することなった。
- 1994年(平成6年)9月に閉鎖された後10年ほどそのままの状態であったが、再開発施設『リナシティかのや』の建設に伴う周辺整備により2005年3月までに取り壊された。本店敷地は鹿屋市が2億7,961万円で取得。現在は『まちなかパーク』として整備され駐車場として利用されている。
- 店舗面積265m2[20]
- 桜ヶ丘店(鹿屋市西原4-2-2[22])
- 店舗面積3,361m2[22]
- 店舗面積265m2[20]
肝属郡
- 大根占店 - ラッキーマートとして営業。[要出典]
曽於郡
- 店舗面積729m2[20]
- 店舗面積999m2[24]
- 店舗面積998m2[24]
- 店舗面積999m2[25]
垂水市
宮崎県
串間市
- 店舗面積686m2[28]
- 店舗面積983m2[29]
- 売場面積2,399m2[30]
曽於郡
- 店舗面積999m2[25]