桜井女学校

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桜井女学校(さくらいじょがっこう)は、櫻井ちかが設立したキリスト教系女学校である。現在の女子学院中学校・高等学校に発展した。

概要

櫻井ちかが、東京府麹町区中六番町1番地[1](現,東京都千代田区四番町)に民家を借りて、1876年明治9年)10月24日に英女学家塾として開校。8畳2室あまり、縁側付きの一軒家だった。この日は学校の開業願が許可された日で、現在では女子学院の創立記念日となっている。成立当初は教員1名、生徒6名であった[1]1879年に高等小学科[2]1880年には日本で最初の私立幼稚園を生徒7名で設立した[注釈 1][4]。また、東京女子師範学校附属幼稚園に次ぎ、東京で2番目に設立された幼稚園であった[5]。幼稚園は日清戦争が終わった頃に廃止されたとされる[6]

1877年(明治10年)にちかの夫櫻井昭悳牧師が函館に赴任するため辞任すると、矢嶋楫子が就任する[7]。学校はアメリカ長老教会の経営になり、ミッションスクールになる。メアリー・トゥルー宣教師は女子の自治と自立を目指し、1884年(明治17年)キリスト教幼稚園の保母育成のために幼稚保育科を設立した[8]。日本で初めの私立保母養成機関であった[9]。明治20年には3名の卒業生を排出した[10]。廃止年は不明であるが、明治29年2月に卒業生を出していることからそれ以降と考えられている[10]

1886年、看護婦養成所が設置される。一期生の中には2026年度前NHK連続テレビ小説『風、薫る』の主人公のモデルのひとり、大関和(ちか)がいた[11]

1889年(明治22年)、新栄女学校と合併して女子学院になる[12]

本校を母体として、新潟高田女学校宇都宮女学校が開校された。また、貧しい女子のために女子独立学校を設置する。

脚注

参考文献

外部リンク

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