梅原館
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歴史
平安時代後期に桐生六郎(前桐生氏)により築かれたと伝えられている。南北朝時代に桐生国綱(後桐生氏)によって柄杓山(城山)に柄杓山城(桐生城)が築かれ、柄杓山の麓に居館を構え、梅原館を下屋敷に定めて、柄杓山城と梅原館の中間地点に桐生氏の菩提寺である西方寺が建立された[2]。梅原館を基点に町屋が形成され、居館と町屋は久方村(後の上久方村・下久方村)の字名として用いられた。1962年(昭和37年)3月14日に「梅原館跡」の名で桐生市指定史跡となる[1]。
1988年(昭和63年)から1989年(平成元年)にかけて発掘調査が行われ、城館内の柱穴跡や堀の遺存状況から、継続的な建築物の痕跡があり、出土遺物の年代は鎌倉期から南北朝期が主であることが明らかになった。この調査により、梅原館は後桐生氏の時代となった後も城館としての機能を有したことが裏付けられた[1][3]。