梅園篤彦
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男爵・梶野行篤の七男として生まれ、1913年(大正2年)6月、子爵・梅園実師の養子となる[1][3][4]。養父の死去に伴い、1917年(大正6年)10月10日、子爵を襲爵した[1][5]。
1909年(明治42年)京都府立第二中学校を卒業[3]。1912年(明治45年)3月、大阪市立高等商業学校を卒業[3][4]。その後、京都帝国大学法科大学を修了した[2]。
1916年(大正5年)官幣中社白峯宮主典に就任[2]。以後、府社男神社社司、京都市主事、京都市嘱託、滋賀県嘱託、京都薬学専門学校講師、京都計理士会会長、三島製紙常務取締役、精版印刷監査役などを務めた[4][2]。
1929年(昭和4年)11月14日、貴族院子爵議員補欠選挙で当選し[6][7]、研究会に所属して活動し1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した[2]。