梅暮里谷峨
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経歴は『新版近世文学研究事典』に拠る[1]。
上総の久留里藩士の子として生まれる。1785年(天明5年)36歳で出仕、1794年(寛政6年)45歳で家督を相続して馬廻席(50石取)になり、後に江戸詰め大目付。1788年(天明8年)梅月堂梶人の名で洒落本の初作『青楼五雁金』を執筆し、1790年(寛政2年)続編『染抜五所紋』、梅暮里谷峨の名で『文選臥座』を刊行。その後、約7年著作がなく、1798年(寛政10年)『傾城買二筋道』から執筆活動を再開、末期の洒落本界を牽引した。
なお、伝記に不明な部分が多く、梅月堂梶人を谷峨と同一人物とみなす尾崎久彌説に対して、梅月堂梶人や遊里山人は谷峨と別人とする棚橋正博説が存在する。