森三之助
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1874年(明治7年)12月25日、神奈川県横浜市中区初音町の海産物問屋森寅[2]に、長男の「森三吉」として生まれる[1][3]。
長じて、旧制・横浜商業学校(現在の横浜市立横浜商業高等学校)を卒業する[1]。
1894年(明治27年)、川上音二郎の「川上音二郎一座」に入座、初舞台は横浜の港座であった[1]。1902年(明治35年)、満27歳のときに独立し、「新演劇森三之助一座」を結成する[1]。人気を得て、ファンやジャーナリズムから「森三」との愛称をいただく[1]。
のち東京へ進出、1911年(明治44年)には、目黒にあった吉沢商店の撮影所で黎明期のサイレント映画に出演した。同社は1912年(大正元年)、他の3社と合併して日活を設立する。翌1913年(大正2年)10月には、浅草の隅田川を隔てて西側に日活向島撮影所を建設・開所し、目黒の撮影所は閉鎖され、森は、狂言方(脚本・演出)の小口忠や桝本清、セット背景画家の斎藤五百枝、俳優の関根達発、立花貞二郎、横山運平らとともに、向島に異動になる[4]。1914年(大正3年)いっぱいまでは多くの作品に出演した。1915年(大正4年)、日活を退社し、本所の寿座で連鎖劇を自らの一座で主宰した[3]。
1940年(昭和15年)6月9日、死去した[1]。満65歳没。墓所は南区の不動寺。舞台での当たり役は、当たり役は『桜井駅』の楠木正成役等であった[1]。