森下彰子
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東京都・四谷生まれ。成女高等女学校中退後、日活多摩川(その後大映)に入社。
同僚の俳優・川村禾門と恋におち結婚。彼の朝鮮への出征後も、頻繁な文通をかわした。
映画『青空交響楽』(1943年、大映)、『ベンガルの嵐』(1944年、大映)などに出演後、女優仲間の町田博子らとともに芸能挺身隊として、その後日本移動演劇連盟が結成されると、丸山定夫率いる劇団「苦楽座」(後の桜隊)の団員として各地で慰問活動を行う[1]。1945年7月、島根県巡業中に夫への最後の手紙となる45通目を投函。
1945年8月6日、同劇団の疎開先である広島市で被爆死した(家屋倒壊による即死と見られる)[2]。
2008年、NHKにて『ハイビジョン特集 戦後60年関連 ヒロシマ・戦禍の“恋文” 女優 森下彰子の被爆』が放送された。