森川卓郎

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国籍 日本の旗 日本
出身地 広島県
生年月日 (1941-08-28) 1941年8月28日(84歳)
身長
体重
173 cm
68 kg
森川 卓郎
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 広島県
生年月日 (1941-08-28) 1941年8月28日(84歳)
身長
体重
173 cm
68 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 1964年
初出場 1964年4月21日
最終出場 1966年10月11日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

森川 卓郎(もりかわ たくろう、1941年8月28日- )は、広島県出身[1]の元プロ野球選手投手)。

広島商業高校では、エースとして1959年春季中国大会で準々決勝に進むが、倉敷工に惜敗。同大会の県予選決勝では三浦和美らのいた広陵高ノーヒットノーランに抑えている。同年夏も県予選で敗れ甲子園には届かなかった。高校同期に松村正晴がいる。

卒業後は神奈川大学に進学。大学では主戦投手として活躍し、横浜五大学野球リーグで4回優勝。全日本大学野球選手権大会には3回出場し、1963年には準決勝に進出するが慶大に敗れた。4年春にリーグ最優秀選手。

1964年に地元チームでもある広島カープへ入団、5月から先発陣の一角として起用される。5月5日の巨人戦は王シフトが敷かれた試合として有名であるが、その試合で先発を任されたのが森川である(結果は3回途中で降板)[2]5月17日には巨人を相手に先発し初勝利。6月9日には大洋高橋重行と投げ合い、9回サヨナラ完封勝利を記録するなど約3週間で3勝を挙げる活躍をみせ、安仁屋宗八西川克弘とともに「新鋭三羽ガラス」として注目される[3]。しかし2年目以降は左肩を痛めたことにより登板機会が減り、1967年限りで退団した[2]。武器はカーブとシュート、シンカー。

引退後は、広島市南区にある鋼材関連の企業(興永鋼材)で、取締役会長を務めていた[1]

詳細情報

脚注

関連項目

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