家業は、香川県三豊市高瀬町出身の初代・森茂吉が、パン作り修行後の1920年(大正9年)に東京・池袋駅前で創業したタカセ洋菓子(旧・森茂商店)[2][5][6][7][8]。
立教高校(現・立教新座中学校・高等学校)に進学。この時期、池袋にあった立教高校は新座市へ移転した。所属したバスケットボール部は関東大会でベスト4の活躍をみせ、インターハイに出場[9]。
1966年(昭和41年)、立教大学経済学部経済学科卒業[10]。
大学卒業後、タカセ洋菓子株式会社に入社[2]。
同店では、東郷青児がデザインした缶や包装紙に人気があるが、1962年(昭和37年)にタカセ洋菓子株式会社として法人化し店を増改築した際、青児に新しい包装紙の絵とともに店の大食堂にも大きな壁画を描いてもらったという。父からは、『青児先生は弟子を引き連れ制作し、最後の目のところは必ず先生が筆を入れた』と伝えられたほか、弘治自身もいつ見ても飽きることのないの青児の美人画に自社の菓子やパンを重ね合わせ、流行に左右されず昔ながらの製法を続ける大切さを語っている[2][11]。店のメニューの表紙も東郷青児の作品である[11]。
そのほか、豊島区観光協会副会長を務める[3][4]。