森忠洪
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時代
江戸時代中期
改名
五郎作(幼名)、忠洪、秋香亭傘路(法号)
略歴
享保16年(1731年)10月23日(または享保13年(1728年))、藩主森家の家老・森正典の子として生まれる(各務利直の七男ともいわれる)。
延享3年(1746年)12月8日に第4代藩主・森政房が死去したため、その養子となる。延享4年(1747年)2月6日に家督を継ぎ、12月15日に従五位下・和泉守に叙位・任官する。生来から学問好きだったため、藩財政難打開を目指して文人を数多く登用し、その文人による学問的な藩政改革を行なった。主に塩田開発を行なったが、この改革は一時的に成功し、後に「大盛院(忠洪の戒名)時代」と称されている。
明和6年(1769年)7月23日、長男・忠興に家督を譲って隠居し、以後は秋香亭傘路と号して俳諧の道を歩み、「秋香亭句集」を残している。安永5年(1776年)6月2日に死去した。享年46(または49)。