森正行
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人物
森は爆笑路線での手腕を活かし、芸能人の育成にも注力。1993年バラエティ番組『大石恵三』をスタートさせ、「ホンジャマカ」と「バカルディ」(現・さまぁ〜ず)のお笑いコンビ2組を起用している。渡辺プロダクションとホリプロというお笑い専門ではない芸能事務所がライブや勉強会で育てていた両コンビは、若手お笑いのホープといわれながら夕方や深夜のテレビしか出演できず、この番組が初のプライムタイム進出となった。そこでプロデューサーである森は2組の将来性を考え、手間は掛かるが放送1回当たりネタ60本を仕込み「きちんとオチのあるコント」をそろえ、「爆笑しなくても、ニヤリとしたり、なるほどと思わせる笑い」を狙い、じっくりショートコントを見せる番組に構成した[3]。ただし、番組そのものは裏番組の『進め!電波少年』(日本テレビ)に押されていた事もあり、半年で終了した。
同じ1993年、森は放送衛星を使ったBSアナログ放送のハイビジョン試験放送で、山中秀樹(当時フジテレビアナウンサー)を進行役に起用し、アマチュアのど自慢コンテスト番組「カラオケ富士の湯」を制作した。まだ低い解像度の標準画質映像が主流だった当時、高画質性を活かしたハイビジョン番組がスポーツ中継やコンサート、紀行番組の多かった点を踏まえ、ハイビジョン放送を「普及のためには(あえて)地上波と同じような娯楽番組を作る必要もある。そういう条件の中での一つの試み」として企画した[4]。
制作現場を離れた後は経営者として、フジサンケイグループのの大手映像・音楽ソフトメーカー「ポニーキャニオン」常務取締役[5]やフジテレビの英国子会社「フジ・インターナショナル・プロダクションズ」の社長、フジテレビとリクルートの合弁で地デジワンセグ放送サービス会社「コネテレ」の社長も務めた[6]。
また、サンケイビルでは執行役員として、故郷・大阪の西梅田プロジェクト(北区)も担当。大阪最後の一等地と言われた「うめきた(うめきた)」と並ぶ二大再開発である西梅田のブリーゼタワー建設(サンケイホール、産経新聞大阪本社入居の大阪サンケイビル建て替え)なども指揮した。