- 出生から修学期
1896年(明治29年)、新潟県北蒲原郡乙村(現・胎内市)にて生まれた。1915年、新潟県立新発田中学校を卒業。朝鮮半島に渡り、1918年3月に京城中学校附属臨時小学校教員養成所を卒業。
- 教員時代
卒業後は朝鮮公立小学校訓導に任じられ、釜山第二尋常小学校に赴任した。1920年、金海公立尋常高等小学校訓導に転任後、同年中に京城櫻井公立尋常小学校訓導に異動。
1930年、京城帝国大学法文学部国語学国文学専攻の選科に入学。指導教官は高木市之助。1931年に同大学選科を修了。卒業論文は『仮名手本忠臣蔵の研究』であった[1]同年、朝鮮総督府学務局編輯課の嘱託に採用され、以後、国語教科書の編集に従事した。1934年3月、予科修了学力検定試験合格に伴い、京城帝国大学法文学部の文学科を卒業し、文学士号を取得した。1935年、朝鮮総督府編修書記に任ぜられ、学務局編輯課への勤務を命ぜられた。
- 戦後
敗戦に伴い、1945年年末までに故郷の新発田へ引き揚げ。1950年、同地にて死去した。