Wikiwand AI

植村恒三郎

From Wikipedia, the free encyclopedia

植村 恒三郎
生誕 福島県
居住 日本の旗 日本
研究分野 林政学、森林経理学
研究機関 盛岡高等農林
九州帝国大学
出身校 福島県立会津中学校
第一高等学校
東京帝国大学農科大学林学科
東京帝国大学大学院
主な業績 本邦に於ける林野の入会関係に就て
『森林経理学』
『共同林と森林組合の研究』
樺太演習林の調査報告
影響を受けた人物 川瀬善太郎[1]
プロジェクト:人物伝
テンプレートを表示

植村 恒三郎(うえむら つねさぶろう、1882年 <明治15年> 2月 - 1945年 <昭和20年>) は、日本の林学者。専門は、林政学・森林経理学。入会権について史的研究を行い[2][3]、川瀬善太郎に続き入会権公有論を唱える[3]。また樺太に設けられた九州帝国大学の演習林の指導、調査報告を行った[4]。「本邦に於ける林野の入会関係に就て」で林学博士(東京帝国大学)[5]。九州帝国大学教授、同名誉教授[6]。

経歴

旧会津藩藩士の植村家に生まれる[7]。会津中学、一高[8]を経て、1906年(明治39年)7月[9]に東京帝国大学林学科を18名中首席で卒業[10]。大学院を経て盛岡高等農林教授となる[11]。在任中に森林政策、森林行政、木材商況、経理、外国語などを担当[12][13]し、またドイツに留学している。1920年(大正9年)に林学博士の学位を取得し、翌々年に九州帝国大学農学部教授に就任。林学第四講座を担当し[14][15]し、演習林長[16][17]、農学部長[18]を務める。1942年(昭和17年)3月に退官。1938年(昭和13年)時点で高等官一等、従三位勲二等に叙されている[19]。会津会会員[20]。

親族

妻は本多静六の長女てる[7]で、東京帝国大学農学部長三浦伊八郎、大村清一は義弟にあたる[21]。植村夫妻は男子四人女子一人に恵まれ、長男敏彦、次男誠次、四男恒義はそれぞれ医学博士(東京帝国大学)[22]、農学博士(東京大学)[23]、工学博士(東京大学)[24]である。三男の秀三[7]は東京高等裁判所判事を務め、のちに日本犯罪学会賞、刑事政策審議会賞を受賞した[25]。孫の栄治は元・慶應義塾大学大学院教授。

著書等

著述
  • 『林価算法及林業較利学』三浦書店、1911年(右田半四郎との共著)
  • 『森林と治水』農商務省山林局、1917年
  • 『森林経理学』三浦書店、1920年(『明治後期産業発達史資料』にも収録)
  • 『本邦林野ノ入会関係ト入会権』三浦書店、1923年
  • 『林業経済』九州帝国大学農学部、1936年
  • 『屋久島視察所感』熊本営林局、1939年
  • 『新体制と林政』三浦書店、1942年
  • 訳著『共同林と森林組合の研究』林野共済会、1959年[* 1]
  • 『千代の松原』[26]
  • 『夏期林業講習会講演集』鹿児島県山林会、1927年(渕野旭子、鏑木徳二)
論文等

関連する人物

脚注

参考文献

外部リンク

Related Articles

Timelines

Top Qs

Fact Checks