植村恒三郎

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植村 恒三郎
生誕 福島県
居住 日本の旗 日本
研究分野 林政学森林経理学
研究機関 盛岡高等農林
九州帝国大学
出身校 福島県立会津中学校
第一高等学校
東京帝国大学農科大学林学科
東京帝国大学大学院
主な業績 本邦に於ける林野の入会関係に就て
『森林経理学』
『共同林と森林組合の研究』
樺太演習林の調査報告
影響を受けた人物 川瀬善太郎[1]
プロジェクト:人物伝
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植村 恒三郎(うえむら つねさぶろう、1882年 <明治15年> 2月 - 1945年 <昭和20年>) は、日本の林学者。専門は、林政学森林経理学入会権について史的研究を行い[2][3]川瀬善太郎に続き入会権公有論を唱える[3]。また樺太に設けられた九州帝国大学演習林の指導、調査報告を行った[4]。「本邦に於ける林野の入会関係に就て」で林学博士(東京帝国大学)[5]。九州帝国大学教授、同名誉教授[6]

経歴

会津藩藩士の植村家に生まれる[7]会津中学一高[8]を経て、1906年(明治39年)7月[9]東京帝国大学林学科を18名中首席で卒業[10]。大学院を経て盛岡高等農林教授となる[11]。在任中に森林政策、森林行政、木材商況、経理、外国語などを担当[12][13]し、またドイツに留学している。1920年(大正9年)に林学博士の学位を取得し、翌々年に九州帝国大学農学部教授に就任。林学第四講座を担当し[14][15]し、演習林長[16][17]農学部[18]を務める。1942年(昭和17年)3月に退官。1938年(昭和13年)時点で高等官一等、従三位勲二等に叙されている[19]会津会会員[20]

親族

妻は本多静六の長女てる[7]で、東京帝国大学農学部三浦伊八郎大村清一は義弟にあたる[21]。植村夫妻は男子四人女子一人に恵まれ、長男敏彦、次男誠次、四男恒義はそれぞれ医学博士東京帝国大学[22]農学博士東京大学[23]工学博士(東京大学)[24]である。三男の秀三[7]東京高等裁判所判事を務め、のちに日本犯罪学会賞、刑事政策審議会賞を受賞した[25]。孫の栄治は元・慶應義塾大学大学院教授。

著書等

著述
  • 『林価算法及林業較利学』三浦書店、1911年(右田半四郎との共著)
  • 『森林と治水』農商務省山林局、1917年
  • 森林経理学』三浦書店、1920年(『明治後期産業発達史資料』にも収録)
  • 本邦林野ノ入会関係ト入会権』三浦書店、1923年
  • 『林業経済』九州帝国大学農学部、1936年
  • 『屋久島視察所感』熊本営林局、1939年
  • 新体制と林政』三浦書店、1942年
  • 訳著『共同林と森林組合の研究』林野共済会、1959年[* 1]
  • 『千代の松原』[26]
  • 『夏期林業講習会講演集』鹿児島県山林会、1927年(渕野旭子、鏑木徳二)
論文等

関連する人物

脚注

参考文献

外部リンク

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