植村清二
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職歴[1]
1901年、大阪市で父惣八、母しづの次男として大阪市南区内安堂寺町通に生まれる。父は古着屋であった。1908年4月、大阪市桃園第一尋常小学校に入学。1913年4月には大阪府立天王寺小学校に入学。1919年4月、山口高等学校(文科乙類)に入学。1922年4月、東京帝国大学文学部東洋史学科に入学。1923年7月には華北を旅行する。学生時代は近藤健一から奨学金を与えられていた。1925年、東京帝国大学文学部東洋史学科卒業。
卒業後は、母校の東京帝国大学文学部東洋史学科副手に採用される。1926年からは東京府立第五中学校講師に就く。1938年、松山高等学校教授となった。1932年12月24日、母しづが死去。1934年2月24日には兄宗一(直木三十五)が死去。1938年には父が死去。1941年、新潟高等学校教授となる。講義は博大な学殖と巧みな話術を駆使し、滔々としてよどみなく、聴く人を魅了したといい、松山高等学校、新潟高等学校時代は旧制高校最後の名物教授であった。軍国主義の時代に反対しそれゆえ、新潟高校に転勤した。
終戦後の1946年6月5日、妻が死去。1949年、新潟大学人文学部教授となった。1965年に新潟大学を定年退官し、名誉教授となる。その後は1966年より国士舘大学文学部教授となり、1986年までつとめた。1987年5月27、東京新宿の聖母病院にて死去。
受賞・栄典
- 1972年:勲三等旭日中綬章受章。
研究内容・業績
著書
- 『万里の長城』 創元社(創元選書)1944/「万里の長城 中国小史」中公文庫 1979、新版2003
- 『国史新話』 大学書房 1949
- 『アジアの帝王』 洋々社 1956/「アジアの帝王たち」中公文庫 1988
- 『神武天皇-日本の建国』 至文堂(日本歴史新書)1957、増補版1973/中公文庫 1990
- 『世界の歴史 巻1 中国史十話』 中村書店 1959/「中国史十話」中公文庫 1992
- 『楠木正成』 至文堂(日本歴史新書)1962、増補版1966/中公文庫 1989
- 『諸葛孔明』 筑摩書房(グリーンベルト新書)1964/中公文庫 1985/ちくま文庫 2011
- 『教養としての中国史』 講談社現代新書 1965 - 重版多数
- 『大世界史3 万里の長城』 文藝春秋 1967
- 『歴史と文芸の間』 中央公論社 1977/中公文庫 1979
- 『丸善百年史 上巻』丸善出版 1980 -「第一編」担当[3]