椎原国幹
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来歴・人物
薩摩国谿山郡谷山郷中村の平馬場(現在の鹿児島市中山町付近)に生まれた。姉・政の長男で甥にあたる隆盛とは年齢が近かったため、実際には兄のような存在であった。なお、『本藩人物誌』に登場する、島津義弘に殉死した椎原与右衛門国林は先祖にあたる。薩摩藩士時代の家格は代々新番であることが、「鹿児島県史料 旧記雑録拾遺 伊地知季安著作史料集六」の『御家忠死略称』より分かる。
薩摩藩では諸受持掛御郡奉行、維新後は鹿児島県の民事総裁を務めた。
1877年(明治10年)の西南戦争では西郷軍に付くが、敗戦と同時に延岡で降伏し、国事犯として宮城監獄にて2年間服役した。当時58歳の国幹は、同刑務所の国事犯3百余人の長老格として、自ら申し出て囚人らを率い、港湾整備や開墾などの労務を勤めた。嫡子である嘉八郎も西郷側に従軍したが、銃創を負い、宮崎病院にて20歳で死去した。明治12年、国幹は恩赦を受けて釈放され、帰郷した。
帰郷後は鹿児島県の教育発展と後進育成に尽力し、1881年(明治14年)に公立鹿児島学校校長に就任した。のち、島津忠済の家令も努めた。80歳没。
系図
大久保利通━━━利武 西徳二郎━━━竹一 ┃ 西郷吉兵衛 ┃ ┃ ┃ ┣泰徳┣━━利謙 ┣━━━━隆盛 ┃ ┃ ┃ ┏鉄太郎━武子 ┃ ┏政佐 川村純義 ┃ ┏栄 ┃ ┃ ┃ 近藤廉平━┫ 椎原国紀━━━━┫ ┣━━━━┫ ┗廉治 ┃ ┃ ┗常子 ┃ ┗国幹━━━春子 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┏泰子 ┏━伝蔵 ┣━━━━━━┫ ┃ ┃ ┗正子 橋口与三次━┫ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┗━樺山資紀━━愛輔 ┃ ┃ ┃ 白洲文平━━━次郎
関連文献
- 「鹿児島県の中等教育の変遷 中学造士館を中心に」(山田尚二、1979年(昭和54年))
- 「郷土と日本を築いた熱き薩摩の群像700名」(下竹原弘志編、1990年(平成2年))
- 「百年誌 龍門」(鹿児島県立加治木高等学校百年誌編集企画委員会編、1997年(平成9年))
- 「樟風遙か 甲南高校創立百周年 同窓会記録誌」(甲南高校創立百周年記念事業同窓会実行委員会編、2006年(平成18年))