椎名秀胤
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椎名秀胤君之墓
1912年(明治45年)、秀胤が病没したあと、生前、秀胤が私財を投じて瀬居島(現在の香川県坂出市瀬居町)竹浦港を築港してくれた恩義に報いるため、秀胤の墓を瀬居に建立することを申し出た。椎名家はこれを快く承諾し、当時としては立派な石墓兼顕彰碑を建立し、椎名家の子孫たちが建立式典に参加した。その中には、当時まだ幼かった椎名重胤 (のちの菊村紀彦)もいた。菊村は作家・作曲家であるが、浄土真宗僧侶でもあり、平成時代に居住地の千葉県からこの瀬居町へ訪れ、祖先・椎名秀胤君之墓の墓前で追善供養し、先祖・秀胤の墓と50年ぶりの再会を果たした。これには、地元の大勢の住民たちと、元坂出市議会議員、坂出市議会議長夫妻も立ち会った。ご当地(瀬居町竹浦集落)では有名な出来事であるらしく、元坂出市議会議長や大勢の住民たちが目撃証人となっている。

写真は、21世紀現在、実在する椎名秀胤君之墓(しいなひでたねぎみのはか)。この墓の所在地は、〒762-0067 香川県坂出市瀬居町。竹浦港を眼下に見下ろす小高い丘である。経緯度=およそ34.357539, 133.854928。行政上は地番がない場所に建立されているので、地番は特定できないが、Googleマップに「椎名秀胤君之墓」が掲載されており、その場所や形状が明白に確認できる。
