菊村紀彦

From Wikipedia, the free encyclopedia

菊村 紀彦(きくむら のりひこ、1924年12月15日[1]- 2010年)は、日本仏教学者著述家翻訳家作曲家作詞家音楽プロデューサー、東京シャンソン協会初代会長。

菊村紀彦」は書籍を執筆したり、音楽を作曲したりするときの筆名であるが、弟子たちからも「菊村先生」としか呼ばれておらず、事実上の名前にも等しい。戸籍名は、椎名重胤

椎名家について

東京出身。東洋大学大学院仏教学研究科修士課程修了。浄土教空性論専攻。日本仏教思想研究所長、日本仏教学院長、寂光山檀林寺管主、日本仏教書道研究会長を務めた。

先祖は高松藩椎名氏。明治時代に財を成した椎名秀胤の子孫筋に当たり、父の長兄・椎名芳胤は、大正時代の日本鉱業株式会社の営業部長から幹部にのぼりつめた実業家で、のちに久原房之助鮎川義介らと共に日本鉱業の実権を握っていた人物の一人であった。叔父・芳胤は実業家だったが、重胤(菊村紀彦)は学者肌・芸術家肌であった。

実績

国際的にも仏教哲学者と評価されており、『SINRAN』を英訳。また、音楽家としても活躍。NHKの音楽番組「思い出のアルバム」「若いアジア」「アジアのメロディ(NHK国際放送開始記念)」、1990年10月21日放送のNHK「こころの時代」宗教・人生"般若心経"賛歌[2]などの構成・出演・講話、オペラやミュージカルの演出などを日劇で手がける。1943年以来、シャンソンの普及に尽力、日本の歌曲の研究家として実践。

エピソード

歌手・木の実ナナの名付け親。菊村紀彦作詞・作曲「東京キカンボ娘」(1962年)は、木の実ナナのデビュー曲。「菊村紀彦」のローマ字イニシャルは「K.N」、「木の実ナナ」のイニシャルも「K.N」であり、これは、名付け親・菊村の案であった。

聖真一郎との関係

翻訳家・聖真一郎と家族親族ぐるみで交流があった。1986年3月、聖が『ダイヤモンド・スートラ』(仏教経典「金剛般若経」に関する英語講話訳)を翻訳出版してまもなく、菊村は東京の紀伊國屋書店でそれを購入した。1999年7月、菊村は香川県を訪問、高松と坂出にある椎名家の墓前にて実際に追善供養している。その後、聖家を訪問し長時間の歓談をしている。

隠遁生活

歌謡界にかかわったのは、NHK国際放送開始25年記念番組などの構成や、木の実ナナのような一部の歌手だけであって、菊村は清貧を旨とし、売名行為や商業主義をしりぞけ、生涯菜食主義を通した。 菊村紀彦はある意味で万能の天才とも呼ばれ、「東洋のレオナルド・ダヴィンチ」とも呼ばれた[3]

著作リスト

脚注

関連項目

Related Articles

Wikiwand AI