竇懐貞が清河県令となると、茂謙はかれに重んじられた。制挙に応じて及第し、左拾遺に任じられた。臨洺県令として出向した。ときに洺州では茂謙は清漳県令の馮元淑や肥郷県令の韋景駿とともに、統治の名声があった。茂謙は清廉なことで知られ、秘書郎に抜擢された。竇懐貞が宰相となると、茂謙はたびたび推薦され、大理寺正や御史中丞を歴任した。開元4年(716年)、魏州刺史・河北道按察使として出向した。司馬の張懐玉と同郷で、最初は仲が良かったが、のちに険悪となった。お互いに糾弾し合って、桂州都督に左遷された。ほどなく広州都督に転じた。のちに病没した。