楊載 (明)
琉球に来た明の招諭使
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解説
洪武元年(1368年)に中国を平定した明の洪武帝は、周辺諸国に対して服属する様に招諭した[2]。琉球には洪武5年(1372年)に楊載を遣わし、中山王察度を招諭した。故に、察度は弟の泰期を遣わし、明に初めて入貢した[3][4]。
楊載は洪武4年(1371年)に博多からの帰路に既に琉球を経由した(道琉球)との説が『鄭開陽雑著』に見えて[5]、それにもとづき1371年に既に明国人が博多琉球福建航路を有していたとの説があるが、近年、いしゐのぞむは鄧球『皇明泳化類編』・高岱『鴻猷録』などにもとづき「道琉球」は「遣琉球」の誤寫であることを明らかにした[6][7][8]。これにより、楊載は洪武4年10月に博多から南京へ帰国後すぐに洪武5年正月に琉球へ派遣されたことが明らかとなり、短時間に日本琉球側が福建琉球間で楊載を導いたことが分かった。